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恐怖!?大運・年運・月運全てが天中殺!体験談

占い・感覚

私は子丑天中殺で、昨年までの2年間は天中殺の影響をもろに受けて、本当に辛い時期を過ごしました。
この2年間には年運だけでなく月運も天中殺が巡る期間があり、更に私は大運(10年間)が天中殺期間中なので、大運・年運・月運、合計3つの天中殺が重なる時期がありました。
日運の天中殺まで考えると4つの天中殺が重なったわけです。

そんな恐怖のトリプル天中殺がどうだったのか、体験談を記事にしたいと思います。
同じような天中殺を迎える方の参考になると嬉しいです。

天中殺とは

年運に天中殺が巡ると不運・不幸なことが起こると言われており、実際に私も天中殺のこの2年間は、これまでの日常とは多くの点で異なった、非常に生きづらい日々を過ごしました。
ただ、不運・不幸と単純に言い切ってしまえる出来事ではなく、これまでの自分の行いを清算し、真新しい状態で次の10年を迎えられるような、そんな希望を感じられる出来事が多かったような気がします。
私は割と前向きな性格な方で、常に楽観的に物事を考えるので、このように思えるのかもしれませんが。

天中殺の2年間の出来事については、別記事に書いていますので、よければ読んでみてください。
こんな前向きなことを言っていますが、今となっては笑うしかないくらい結構悲惨です。

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トリプル天中殺を過ごして

さて、本題の大運・年運・月運のトリプル天中殺がどうだったか、について書いていきたいと思います。
年運の天中殺だけでも、辛くてどうしようもない、と言われているのに、それが3つも重なるって・・・・。
もう怖くて怖くて、天中殺の月を迎える少し前は、不安で毎夜の夢なんかも精神状態が影響してか暗いものが多かったです。

そして、ドキドキしながらトリプル天中殺を迎えました。
結論からして、「この2年の天中殺期間の中で一番楽」でした。
私は子丑天中殺で12月と翌年1月が天中殺月に当たるのですが、天中殺1年目の12月は就職先が決まりホッとしていた時ですし(ただその決まった会社は最悪で、この後、辛い日々を過ごすことになりました。)、翌年1月は次の会社が決まっている状況だったので、お気楽に過ごしていました。
天中殺2年目の12月と翌年1月は、派遣社員で入った新しい会社で、それ以前にいた会社での苦しさから解放され伸び伸びとしていました。
天中殺月以外が、本当にひどい出来事だらけでしたので、それとの比較になりますが、トリプル天中殺はかなり平穏な心休まる時期でした。

天中殺に不運なことは起こらない・・・?

恐怖のトリプル天中殺が2年間で一番平和だったなんて、やっぱり結局占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦、気の持ちようだよ!といいたいような気もします。
けれど、この2年間のうち、心休まったのは、月運が天中殺だった2か月間くらいで、それ以外はやはりこの10年間でひときわ苦労の絶えない月日に感じたのは気のせいではありません。
私の印象では年運の天中殺は、運気の低迷が目に見えて直撃しますが、それ以外の大運・月運・日運については、さほど気にする必要がないような気がします。

不運・不幸というより、今までの行いの清算

天中殺について、つい「不運・不幸・運気の低迷」といった言葉で表現してしまいますが、冒頭でも述べましたが私は元来ポジティブな性格なので、思い通りにいかない出来事を、何かしら意味のあるものだと考えてしまいます。
この2年間に私なりに意味を見出すと、「清算」という言葉がしっくりきます。
天中殺に至る前の10年の日々の中で蓄積してきた負の行いのツケが一気に来たような印象です。
例えば仕事に対して、少し天狗になりすぎていたところがあったので、見事にそれをへし折られ、本当の自分の力量を自覚せざるを得ないような出来事が続きました。

天中殺は怖くない

これまでの負の行いのツケを払う清算している時期、と考えると天中殺は決して怖いものではなく、むしろ清算により真っ新な状態で次の12年を再出発させてもらえる、こちらからお願いしてでも過ごしたい貴重な時期、と考えられると思います。
そう考えると、不運と思える出来事も、自己を省みる機会になるとともに、明るい未来のための不運として、辛いながらも希望が見えてきませんか。
私はそう思っています。

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